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2016年3月28日 (月)

興味深い記事

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4月の月刊ピアノに面白い記事がありました。
“音楽の世界地図”という28ページ~29ページです。
第24回インド
宇宙とつながる音楽、です。ちょこっとだけわかることがあるので、私も便乗してみました。

私の無鉄砲さと無計画さは今に限ったことではなく、今から20年前の今頃も疑問に感じられる幾つかがあったので、ツアーには入ったものの一人でインド、ネパールに行っていました。
興味があったのは哲学と音楽、美などです。

行く前はさんざん脅かされました。20代の世間知らずですから無理もありません。
汚い、危ない、それはもう。
でも、そんなことより知りたい欲求のほうが大きかったので、とりあえず細かなところは後にしてめぼしい所に行くツアーに参加しました。

他の国もけっこうチョロチョロ行ってみましたけど、良くも悪くもこれだけのインパクトのある国ってすごいと思います。
それに、行く前に聞かされていた、ガンジス川は汚いという噂も全然違っていました。最初と二枚目の写真が私の見たガンジス川です。海みたいでしたし、荘厳味もあります。

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月刊ピアノにも調度こんな写真が載っていましたね。ベナレス辺りの写真でしたね。

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ベナレスは名古屋でいえば八事の焼き場みたいなもので、それだけではなく死そのものを受け入れ最期をここで迎える準備をされていらっしゃる方もみえますし、ビックリするほど間近でその光景を見ることもできます。
もっと恐ろしいものかとも思いましたが、たんたんと薪を積み上げていて特に恐怖もありませんでしたし、みんな誰も最後はこうなのだと妙に落ち着いた気持ちになったのを記憶しています。

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インドの音楽はいつも祈りが最初にあるように感じられました。私はこのときまだ冒険の入り口にいて、勉強するより先にとりあえず行ってしまえという単純な思考回路のため不勉強なまま、良くいえば真っ白の状態で赴いているので、先入観がなくお約束通りの衝撃を体験してくることができました。

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今回の記事にはシタールやタンブーラの事が書いてありますが、私が見た楽器で一番衝撃を受けたのはやっぱり鍵盤なのです。名前をすっかり忘れてしまいましたが、小さなオルガンのようなもので、奏でる方はずっとオクターブ奏なので随分大変そうだなと思いちょっと見せて戴いたら、オルガンそのものに仕掛けがあり、下の鍵盤触ったら同時に上も押さえられる、つまり自動的にオクターブ奏になる楽器だったという事です。
そして、舞踊を舞う彼女のスカートの膝下には鈴。日本の神社で見る位のサイズのものが巻かれています。祈りの音楽は激しく妖艶で神聖でした。

インドの方の音楽もそうですが、様々なことを知るためにはやはり背景を知ることも大切です。しかし一番必要なことは大きさの単位を知ることと、思惟方法を知る事です。
大きな国土、何もかもが桁はずれです。絵葉書でみるタージ・マハールは日本人ならお城くらいのイメージをもって想像しますが、実際はとんでもなく大きいです。どれだけ離れても大きいのですから、距離感さえも分からなくなる程です。

恒河沙(ガンジス河の砂の粒ほどの数)や、阿僧祇劫(諸説あるようですが、私が聞いたのは一辺四十里の大石を百年に一度、天女が舞い降りて衣の袖でひと拭いして、大石が摩滅するまでの時間。)
、那由他、不可思議、などなどとてつもなく大きな数を用います。そういうものが出てきた背景は私はきちんと知りませんがあの国土や歴史が随分と関係しているように思います。さらに大きいばかりではなく0(ゼロ=シューニャ)が最初に発見されたという点も興味深い所です。シューニャという言葉は日本でも一定の職業の方には非常に重要になってくる数字であり哲学であると思います。

ともあれ、日本にも素晴らしい文化や歴史があるように一朝一夕でそれを把握しうかがい知ることはできません。
合間時間に少しづつ何かを自分に詰め込んでいけばそれでいいんではないでしょうか。


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私はたしかにインドに興味をもち、色々勉強しましたがそれだけに偏ってはいません。
私はあくまでもテイストの一つとして愛しており、もっともっと様々な事に興味があります。
特に東洋のものが西洋を通過すると、妙に整う感というかさらに洗練されるような感じがして、それもまた好きです。

つまり貪欲で節操がなく雑食なのです。
でも、自分という船に少しでも沢山有益な荷物を載せて、沈没することなくどこかにたどり着けたら、それはそれでたのしいんではないでしょうか。私は風のようなものです、時に台風のようにもなりながら人を巻き込んでも進んでいきます。進路は常に未定。しかし吹くからこその風、止まった私には価値はありません。
ふらふらと柳のように見えても、それだからこその強さがあります。いつか風の中にふっと消えてしまってようやく終了です。多分。

終わりに、ナーダ ブラフマン ナーダは音でブラフマンは宇宙という説明が本ではなされています。
このブラフマンという単語、日本でもなじみ深いですよ?
日本では梵天(=万物の根源を神格化したもの。 下は堅牢地神、上は梵天 帝釈に至るまで・・・のあの梵天です)といいますよ。
インドで見た形や道具の一部はまるっきりそのまま同じくした姿で日本で見ることもあります。
あぁ、つながっているんだなぁと未だにしみじみと思います。

もし今後インドに行かれる方があったら、これだけは申し送りたいです。
正露丸もって行ったほうがいいよ(笑)・・・です。

そして、人によってはここに嵌まり込む方もあるようですが、私は改めて日本に目が向くようになりましたし、特にもう一度行きたい気持ちにもなりません。知りたいこと、得たいことは全て得られた感が既にあります。

美、音、絵、哲学、祈り。そういうものは、おそらく私の中では一つ。
それらを切り離して考えようとした時もありますが、その途端に自分が壊れたような気持ちになります。
ならば無理に分けなくても良いのじゃないかと、やっと思えるようになりました。

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