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2016年4月21日 (木)

いろいろな形

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先日にも書きましたが、毎日の映像などの情報で、皆さま心を痛めていらっしゃることと思います。
私も痛みと傷みがありますが、先に進まねばなりませんので、あえて違うお話しを書こうと思い立ちました。
たった一人であっても、私のブログを読んでくださる方があれば、私はそれで最高の喜びとして拙いですが書き留めております。

(先日の記事はこころが落ちている時のものの為、削除ではなくクローズしました。時を経たら戻します)

今日はいろいろな事を思い出しながら、朝からほんの少しだけアルコールをとりました。
私は一切お酒が飲めない体質なので、バラの紅茶に7滴たらしてです。それでも、私には十分すぎるほどの温かさと、穏やかさをもたらしてくれています。
これは、普通のアルコールではなくてフラワーエッセンスです。本当は希釈してきっちり作成しないといけないのですが、知っていながら自己流の乱暴な使い方をしています。

私は本来こういうものはあまり必要としない人間ですが、私のピアノの先生はこういうものが大好きで、むしろピアノよりもこちらのプロとして活躍されていらっしゃいました。私もグランドピアノとハモンドオルガンとちょっとした電子ピアノがある場で、一切ピアノを習うことなく何年も通わせて戴いていました。
何を教えて頂いていたかといえば、虐待にも似た自分を悔やみ責め続ける性格の改善についてです。
これは、私に限らず日本人皆に言えることなのではないだろうか、と先生はおっしゃっていました。
世界にたった一つだけの花でみんな泣くのがその証拠だと言い切っていらっしゃいましたし、私もあぁそうだなと思っていました。
生徒たちにも先生と呼ばれることを嫌がり、名前で呼ばせていましたが、最後まで私にはそれが出来ずにお別れになってしまいました。わずか40代で子を残し天に召されたからです。最後に横になる美しい服を着た先生の隣でご親族の演奏される“ゆりかごのうた”の生演奏、真っ白なバラがいまだにこころに焼き付いています。
たくさん色々なことをご教示いただきましたが、最終的に先生が私に言い残してくれた言葉は
“自分をいとしく扱いなさい”ということです。私がよく言われたのは旅館の仲居さんはもう終わり、居酒屋の女将ももう終わり。玄関マットももう終わり。実際私はその職に就いたことはないですが、先生の目にはそう映っていたのでしょうね、今になるとだんだんその言葉の意味が分かってきました。

私が若かりし日、人生の冒険に出た時、そこには教えてくれる人がいませんでした。
現場と、師と名の付く人はありましたが、実際はやらなくていいと邪魔をし、足を引っ張るだけの存在で自力でどうにかするよりなかったのです。大学という方法もありましたが、あえてそれをしませんでした。何か違う気がしたのです。
当時はインターネットもありません、ただやみくもに自分の足で探すしかないのです。
情報が手に入ったとしても、それに対しての世界観、思惟法、独特の言葉、言語の壁、様々な事を越えなければならならず、気が付けば本の数は3000巻に上っていました。それらは現在も手元にあります。
それでも読めないものが圧倒的なので、とりあえず唯一の辞書を全部書き写せば何か少しわかるようになるんではないかと、1年かけてやってもみました。
そのうちだんだん理解できるようになり、自分の納得のいく答えが見つかった時、私はまた壁にぶつかることになりました。
たいへん美しい内容ではあるけれど、これを現実世界に全部反映させることは実質不可能だ、ということに気づいたのです。
10年かけて必死で覚えたことを今度は手放すという作業をしなければならず、それにまた10年かかってしまい、やっと現状の私があります。

書き写した辞書は天に召された先生が、これは私が預かっておくから、と言ってそのまま。
きっと永久に戻ってくることはないと思います。けれど、手放せたからこその新しい世界だと思うので、私にはもうそれは必要ないものだと感じていますし、欲しいとも思いません。

私は謙譲は尊を受く、とか、へりくだるということを美徳だと思いながら極力そう努めてきました。
けれど、最近それは私自身の普通の道を歩いてはこなかったという、コンプレックスからくる自信のなさの裏返しでではないか、と思うようになりました。
けれども、私には私の確かな轍があり、それをすべて自分で否定しまうことは良いことではない、と思うようになりました。

山越えてまた山、更に山。
正直、息があがっているのだと思います。けれど、私が26の時にとったある資格は体力的にも精神的にも困難を極めるものでした。そのとき、74歳で取得された方はその後20年活躍されてまだご健在です。
ですから、年齢的なことをいえるほど私はどこにも到達していませんし、まだできます。できないというのは甘えです。
さりとて、先の先生が教えてくれたように無茶なやり方ではなく、自分を適度にいとしく扱いながら最期までやり抜けたら良いと考えています。


そして私の長年抱えた最大の疑問を、間違っていなかった!という確信に変えてくださった演奏家さんにも無断ではありますが、勝手に心の中で深い感謝をしています。

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