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2016年9月28日 (水)

九月もあと少し

201609_28

気づけばもう今月もあと少しで終わりですね。
月日が本当に早いです。そこかしこで秋の運動会の声が聞かれます。あそこは○日よ、あっちは○日。結構どこの先生も生徒も予定がひしめく10月も目の前。・・・の、割にはお天気がすっきりしませんね。

私は絵を入れ替えたり、ディスプレイの変更を晴れた日待ちでしようと思うのですが、なかなかできずにいます。伴い体調もパッとしません。早くスカッとした青空が見たいです。
でも、そんなことばかり言っていられないので、看板の絵を描き直してみました。一年もたってしまうと随分と褪せてしまうのと、飽きてしまうので。水性のインクを使っていたのですが、一部なぜか頑固で落ちなくて腕に震えが残るくらいこすらないといけなかったのがつらかったですが、明るく可愛くできたかなと思っています。

私はちいさいころから絵が好きでした。でも、心のどこかに常に面倒臭いという怠け心があるのと、音楽よりも好きではなかったのがあって、現在は年に一度くらいはちょっと描いてみたいかなという程度です。

小学校の時の担任の先生は図工(美術)の先生で、たぶん自費出版なんだと思いますけど“創り出す喜びをもとめて”というような題の本を作って私たちにくれた(買ったのかも・・・)ことがかつてありました。
葉脈を一緒に作ったり、大きな何メートルもある校章を一緒に作ったり、友達のHちゃんがモデルになって像を作ったり、ちょっと経験できないようなことを授業の他の時間で経験させてもらいました。しかも、その校章と像は現在も母校に作った時と変わらない姿で飾られています。あれから34年経っているのに。その時に、何かを創り出すことにも楽しみを覚えました。

私は絵が好きだったというだけで、決して上手ではなかったですし、現在もそうです。一つ前の担任の先生からはこう言われたこともあります。
“貴方なんかの絵のどこがいいか全然わからない。私は○○君を選びたかったのに、どうしても図工の先生がいつもあなたの作品だという。まったく先生の気が知れない。”と。

ちいさい私はなんだか泣けてしまいましたね。でも、その通りだと思います。私だって分からないんですから。

大人の私からあの頃の私に声をかけるとするなら、生み出したものに優劣なんてない。みんなそれぞれの表現だからそれぞれみんな良いと、きっとそんな風に言うでしょう。
上手いとか下手とか、そんなことはどうでもいいんじゃないでしょうか、創り出す喜びは誰にも平等に与えられたものですし、その時表現の方法が分からなくても、成長とともに何かを見つけてできるようになっているかもしれない。見えないどこかにまだ埋蔵されているかも知れない。

だから、受け取るほうもそう勝手に簡単に判断しちゃいけないんじゃないかなと思います。
誰しもいくつでも、可能性は無限だし、制限もないんだと思います。

好む好まないは、それぞれの嗜好の問題です。

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