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2016年9月18日 (日)

書けること書けないこと

20160918higanbana_00

ブログで、どこまでお話ししたらよいのかなと考えます。
興味をもってご覧くださった、貴重な訪問者さまの求める何かしらが偶然にもあれば良いのですが、そうでない場合も多いんじゃないかと思います。いろいろな思いや伝えたいことはありますが、私は人によって違う事を言います。それはその時その方に必要な薬がそれぞれ違うように、言葉もそうだと思うからです。そして、お付き合いが深まって信頼関係が築けてからもまた違ってきます。

そして、文字による表現と実際にお逢いして感じて受け取って戴くことともまた違うような気がします。
文字は何度でも書き直しができるので、見せようと思えば良い所だけ見せることができるかもしれません。
でも、実際にお逢いすると、私自身も緊張して失敗することもありますが、遠回りをせずに私を知って戴けるように思います。

絵でも音でも、芸術を志す方は、全般に感受性が強いように感じられます。
受け取ったり、感じたりすることを絵の具にして人生やらストーリーやらを描いたり演じたりするので当然そういう資質が重要なんだと思います。けれど、心というのは私ほどの大人になっても、かろがろとざわめいてなかなか腕の良い調教師や御者のようにはいきません。そういうことがベースにあって、越えられない練習やさまざまな要因が一気に来ると心身ともに調子を崩されるような気がします。
私自身がそうだったので、私は随分と回り道をしました。しかしその回り道があり、そこで投げ出さず貫いたことで、現在はほんの少しばかりお力になれる部分があるのだと思います。
決して押し付けず、無理強いせず、その人らしく耀けるように、常に私はそれを根幹に持っています。

何かを生み出そう、描こう、演じようと思う人は、きっとその道だけではいけないんじゃないでしょうか。その道をベースにさまざまなことを学んだり、見分を広めてこそ、味わい深いものになる、そんな気がします。
私の様な者がこのような偉そうなことを申し上げるのも烏滸がましいですが、私はそういう方に強い魅力を感じます。
音楽を調理されたご馳走のコースに見立てると、まずそれぞれの素材の取れる土壌や種から研究して吟味し育て、やっと素晴らしい素材を生み出すようになれたら、次はレシピを作り上げ、一切手を抜かない調理法で、最後の一皿までお客様に喜んでいただけるように細心の気配りを欠かさないシェフ。みたいな。

わたしはそのように立派ではないですが、地道にコツコツと手抜きだけはしてきていません。完璧なコース料理が仕上がらなくても、私らしい一皿ならご提供できるように思います。

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